実践あるのみ

デザイン能力を身につける方法 - 分裂勘違い君劇場から。

本を「読む」のは娯楽であって、勉強ではない。学習ではない。理解でもない。

(中略)

本を読んでいる間、自分の脳内では、他人の思考が再生されているだけで、自分自身は考えていない。本を読むというのは、他人の思考をなぞることでしかなく、その間、自分は「思考」していない。

ほんとうに「思考する」というのは、「過去の自分の思考」や「他人の思考」に「逆らって」思考する、すなわち、新しい脳神経回路に通電し、新しい脳神経パターンを開墾することであって、単にすでに踏み固めた道をなぞることではない。単に他人の発言をリピートするのが発言でなく、過去に自分が何度も発言していることを繰り返すのが発言でもないことと同じだ。

デザインについて書かれているけど、一般的な話に通じると思います。プログラム言語を学習するときにもよく言われていますが、「読むだけではなく手を動かせ」「コピペではなく自らキーボードを叩いて入力せよ」というのも似たようなものだと思っています。読むだけでなく手を動かすことによって、「思考する」ことの手助けになるのではと。

自分がわざわざブログを書く意味の一つはこの辺にあるのかなと。最近Bloglinesはてブを活用しだしてインプットは劇的に多くなったけど、それだけでは自分で思考していることにはならない。結果として斬新なものでも何でもない拙い文章でも、情報発信をする段階で自ら考えていく過程によって得られるものが一番大きいのかなと思っています。

こうやってWeb上に書く以上はある程度他人の目に触れることを前提にして書いているのであるから、できるだけ読み手に分かりやすいように文章構成を考えなければならないし、ある特定のサイトで書かれていることを鵜呑みにするのではなくさらに下調べや自分なりの考察が必要となる。このようにインプットしたものをアウトプットする過程で、日本語力も得られるはず!得られるといいな…


ただ、リンク先で取り上げられている行為は「読む」というよりは「眺める」とか言った方が近いのかも。「読む」というと「思考する」という概念まで入ってくる感じがするので、それよりは「眺める」とか「見る」とかではと。

あ〜、 そういうのは読むとは言わない - Charsbar::Noteに同じようなこと書いてますね。書いたあとに気づいてしまった。こっち先に見ておけばよかった…