質問者の心構えとか何とか

またまたエントリの間隔が空いてしまいました。書きたいことはいっぱいあるのに、時間が取れない。

という言い訳はあまりしないようにしよう。時間はあるものではなく作るもの!


今日はWeb上での質問というお題について。ググれ文化圏と教えて文化圏 - 妄想科學日報から。

ググれ派の主張は大まかに言って(多分)以下のようなものだ。

  • 自己学習の上での質問ならば答えるが、そうでなければまず学習方法を学ばせる必要がある
  • 学習習慣の無いものに答えだけ教えると、頼り切りになって宜しくない
  • 学習を啓蒙することで「教えて」の割合を減らし、できれば彼ら自身教える立場になって欲しい

大層なことを書いているように見えますが、要するにググれ派の主張は三つとも教える側の手間を減らすということにつながりますね。

学習方法を学べば検索するだけで分かるようなことを聞いてくることもなくなるし、頼り切りな人を作るとその分その人に対して余計な世話がかかる。教える立場の人が増えると自分が教えなくともよくなるし、更にはその教えている人から自分も知らない何かを学べるかもしれない。

大して反ググれ派(というより「教えて派」か)は、

  • 面倒は要らない。手軽に答えだけ欲しい
  • 罵倒されているようで不愉快
  • 教えてくれても損はない筈だ

「罵倒されているようで不愉快」という感情論はひとまず置いておいて、最後の「教えてくれても損はない筈だ」という主張には大きな見落としが。このように考える人は、教える側も教えるという行為によって(時間や手間といった)リソースを消費するということを分かっていませんね。

最初の「面倒は要らない。手軽に答えだけ欲しい」も同じこと。教えてもらう方は手軽かもしれないけど、教える側がその分面倒なことをこなしていることを理解しておく必要があります。

あと、「罵倒されているようで不愉快」に関連して、教えて君から「罵倒するぐらいならスルーしておけばいいじゃん」という主張が聞こえてきそうです。しかし、しょうもないトピックが立つとその分だけ有益な情報が埋もれてしまいます。「ググれ」というトピックを立てることも十分有益な情報が埋もれる原因となりますが、いつか誰かが指摘しないと教えて君は永遠に教えて君のままとなるでしょう。


以上のことを踏まえて、質問をするときにはできるだけ質問に答えてくれる相手のリソースを無駄遣いしないように、事前に調べておくことです。適切な下調べによって質問の回答に要するであろうリソースが減れば、それだけ多くの人が回答してくれるようになるかもしれません。

と、何だか至極当然の結論になりました。あまり面白くなかったかな。

しかし、ここまで書いてみて、教えて君の主張は自分勝手の感が強いような気がしますね。教えてもらう立場なのに、さもそれが当然のように考えている気が。そのことが、ググれ文化圏と教えて文化圏の隔たりを生むのではないでしょうかね。

あ、もちろん全ての教えて君がこのように傲慢な態度を取っているかというのは、明確に否定できると思いますが。


ちなみに、丸付き数字が機種依存文字なのはもちろん知っていましたが、これをMacで見ると(日)(月)という風になるのですね。これは初めて知りました。こんなところにも、教えて君に対して微妙な当てつけがあったとは…