論理的と屁理屈のはざまで

まず、大元のネタは旧はあちゅう主義。:小娘が何か言ってます。。結構有名な学生ブロガーです。いろいろ突っ込みどころ満載なエントリですが、とりあえず一つだけ。

この間テレビで
「なんで人を殺しちゃいけないのか説明してください」
って言ってる高校生を見て、
「は?」って思った。


もしあれが私の子供だったら、末代までの恥。


世の中には説明の要ることと要らないことがあって、
その質問は後者のカテゴりーに属するでしょ。

これを読んで、「説明が要らないことって世の中には本当にあるのか?」と疑問に感じました。おそらく「何で説明が要らないの?」って聞いても、「説明しなくても分かるでしょ?」と突っ返されるでしょう。しかし、何の説明もなしに即座に理由が説明できるほど簡単な問いかけなのでしょうか。

とか、そんなことを考えていたら「なぜ人を殺してはいけないのか?」と問うやつはガキで下っ端で負け犬で頭が悪い - 分裂勘違い君劇場を見つけました。

そう感じるタイプの人間、すなわち、理屈抜きで人を殺してはいけないと感じる人間は、自分がそういうタイプの人間であるということ自体で、かなり得をする。

(中略)

自分が、心からみんなによくしてあげようと思っているタイプの人間で、誰も不幸にはしたくないと心から思っている人間だと言うことが日々の何気ない行動に表れ、それが相手に伝わるので、ややこしい根回しや説得や交渉に疲弊することなく、みんなが安心して重要な判断を任せてくれるようになるのだ。

なるほど、これはそうですね。結構過激な発言をしていますが、本質的には納得できるところ。屁理屈をこねる(と周りからは受け取られかねない)人より、素直な人の方が周りからの受けはいいに決まってますよね。


職業柄、論理的に考えないといけない場面が大いにあります。コンピュータはプログラマの気持ちなんて分かってくれず、論理的でないプログラムにはすぐにバグという反応を示してくれます。何度「Segmentation fault」「Null Pointer Exception」といって怒られたことか…

しかし、人と人とのコミュニケーションは全てが論理式で成り立っているわけではありませんよね?むしろ「空気を読め」などに代表されるように、相手の感情を慮って動かないといけない場面の方が多いでしょう。


最近、この辺の切り替えがうまくできてないのが悩みのタネです。意識しておかないと、日常生活の中でもつい屁理屈をこねてしまうことがちらほら。考え抜くべきところは考えれるだけ考えても、素直に表現すべきところは素直にならないとね。